それでは善き終末を

身近な出来事、ニュースから思ったこと考えたことをつれづれなるままに書いていくブログ

昨日、職場で近隣同業者のブログを見てたんですよ。
職場のパソコンで。
そしたらスタッフ(女性42歳)がきて言うんですよ
「私のブログ、10万ビューあるんですよ」って。
何をテーマに書いてるのか聞いたら
「下ネタです。私職場では下ネタ全然言わないですけど、書くの好きで、下ネタすごく書くんですよ」っていうんですよ。楽しそうに。

「えっ!?」って思って、振り返って顔をみて
「オェ~~」って吐く真似してやろうか
とおもったんですけど
それはやめておいて、そうなんですね
って流したんですよ

そしたら
前の職場の上司と不倫してた…、
前の職場の後輩が好みだったから…
好みの男がいる店舗に移動願いだして…
とか話し始めたんですよ。

聞いててすごく気になったんですよ。
全然面白くなくて。
本人は楽しそうなんですけど、
こっちを笑わそうとか全然ないんですよ。

僕は下ネタっていうのは性的な話題を面白く話すことだと思ってたんですよ。
面白くなくても下ネタなのかな?
ほかの人が話したら面白かったのかな?
ほかの人が聞いたら面白かったのかな?
っていろいろ気になったんですよ。

で、いろいろ考えてるうちに
アートってなんだろう?
って考えまして、
あいちのなんちゃらナーレのこともあるし

僕はアートって技術が高まりすぎて突き抜けちゃったものだと思うんですよ。
みんなと同じことしてるのに
「あいつのアレは別もんでしょ」ってなるのがアートだって。
例えば「古賀稔彦一本背負い」みたいな
黒帯持ってる人ならみんな一本背負いはできるでしょ
でも一本背負いが高まりすぎて「あいつのは別格」「あれは一本背負いじゃなくて『古賀稔彦一本背負い』だから」ってなったのがアートじゃないかって

だからレジ打ち達人みたいな人って時々TVに出てたりしてたじゃないですか
あれは僕はアートだと思うんですよ

逆に技術の裏付けなしにアイデア勝負みたいなのは
僕は、アートだとは思ってないんですよ。
それって技術レベルの低い「表現力の不自由展」だろ
って思ってるんですよね。

技術の裏付けのない自称「アート」や
面白くない自称「下ネタ」なんか
台風で飛ばされちゃえばいいのに…

 

今ニュース読んでたらおもしろいものが。
小説『ハリーポッター』に本物の呪文があって
悪霊を呼んでしまうから図書館から撤去だそうです。
日本でいえば小説『陰陽師』に本物の呪(しゅ)が
使われているからダメみたいなもんですよね。

すごくないですか?
これカトリック教会が言ってるんですよ。
つまり、今アメリカではハリーポッターを読んで
悪霊を呼び込んだ子供がたくさんいて
カトリックエクソシストが忙しすぎるから
もう読まないでくれってことでしょ。

まぁ、僕は読ませないようにするんじゃなくって
悪霊を追い払う本物の呪文を付録につければいいんじゃないかと思いますけどね。
本当のことが書いてあるから読ませない!
なんてやると大人になっておかしくなっちゃうでしょ。
本物の自衛隊車両は見たくない!みたいな変な大人に。

で、変な大人が
漫画『孔雀王』には本物の真言が書いてあったから発禁
映画『霊幻道士』の呪符が本物だから上映禁止
ちびくろサンボもカルピスのロゴも差別の象徴!
みたいな感じになっても困るし。

でも本物の魔法の呪文書いてあるなら気になりますよね?
ちなみに僕も本物の魔法の呪文を一つ知ってます。それは
ミルクとフルーチェまぜるだけ!
ミルクとフルーチェまぜるだけ!
ミルクとフルーチェまぜるだけ!

あれは魔法だよね。

 

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8月15日は終戦記念日ということで、玉音放送を動画で視聴しました。

2015年に宮内庁がデジタル化した玉音放送を公開してくれたので、誰でもいつでも好きな時に陛下の肉声(玉音)を聞くことができます。いい時代です。
毎年終戦記念日には玉音放送聞いたほうがいいですよね?

仏教では諸行無常と言ってすべてのものは変化し続けることになっていますが
逆を言えば変化しないものは偽りなわけで
変化しない「名前」や「言葉」は偽りのものということになります。

そういう意味では変わることなく再生される陛下のお言葉も偽りのもの。
ただ、変わらない陛下のお言葉に触れて
自分がなにを感じるかは毎年変化するはず。

 

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子供が排せつ物の名前を大きな声で連呼して

まわりの大人が止めさせる

 

こういうのを

オレめっちゃ受けてる、とがってるなオレ

なんて思ってる子供が

そのまま大人になると

あいちトリエンナーレでウンコを並べたりするのだろう