それでは善き終末を

身近な出来事、ニュースから思ったこと考えたことをつれづれなるままに書いていくブログ

桜を見る会について僕が語るとき、まずはシュレッダーについて語らなくてはならない。それはとても退屈なことに思えるかもしれないが、それはドラッグで逮捕された33歳の沢尻エリカを語るとき、実写版宇宙戦艦ヤマトの森雪役を降板した23歳の沢尻エリカのことを語らなくてはならないことに似ている。しかし、それはほとんどの場合、だれも覚えていない。


遠くから見るとそれはまるでシュレッダーには見えなかった。信じてほしい、まるでそれはシュレッダーという概念が入り込む余地のない近寄りがたさを持っていた(あるいは僕だけがそう思っていたのかもしれない)僕は失語症になったように立ちすくんだ。まるで初めて外に出た室内犬のように。
「それで、そのコピー用紙をシュレッダーにかけて時間をはかりたいということでいいかな」
彼は渋谷区の地図を渡された航海士のような顔で言った。
「ああ、それでいい」そういえばよかった。しかし、それはとても退屈なように思えた。
800枚のまっさらなコピー用紙をシュレッダーにかける。その選択が、いったい僕の人生にどんな影響があるというのだろう。ぼくはもう一度彼に言った
「もしかすると僕は今からこの新しいコピー用紙800枚をシュレッダーにかけるけど、君はそれは断ってくれてもいいし、そうしなくてもいい。ただ一つ言えることは僕がそうしている間も君はここにいなくてはならない。その間きみは読みかけの本を開いてもいいし、新しく買ったレコードを聴いてもいい、あるいは紙が裁断されるのを僕と一緒にみるというのも悪くない選択だと思う。ただ一つ言えるのは完璧な立憲民主党議員は存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」
「やれやれ」