それでは善き終末を

身近な出来事、ニュースから思ったこと考えたことをつれづれなるままに書いていくブログ

自分の寛容さの限界を知る瞑想って大切だと思う

気になるニュースがありまして、産経ニュースで見たんですけど
経済評論家の三橋貴明氏(48)が10代の妻を殴打して傷害容疑で逮捕って
やつですよ。

三橋氏のことは何してる人かも良く知らないんですが、
色々驚きました。
DVも驚きだし、傷害で逮捕も驚いたし、なにより10代の妻に驚きですよ。

10代の妻??
ということは、広瀬すず(19歳)、橋本環奈(18歳)
このあたりの世代の妻ってことですよね

で、妻の「かなりきつい言葉」で「一瞬、カッとなって」平手打ちですよ。

どんなこと言われたんでしょうね?
気になったので瞑想したんですよ。

…「お前のまくら、くさいんだよ!」って言いながら
広瀬すずが思い切りまくらで僕の頭を殴ってくる…

…「お前の給料でプレミアムモルツとか生意気なんだよ!」って言いながら
橋本環奈が思い切り缶ビールを投げつけてくる…

これくらいだったら、私はキレないですよ。

そんなこと妄想してどうする?バカか?

と言われそうですけど、
こういう自分の寛容さの限界を知る瞑想って大切だと思うんですよ。

先日、1月2日ですけど、職場でね、キレそうになったんですよ。
正月出勤が不満な女性スタッフ(36歳)がいまして、
文句たらたらで勤務態度も非常に悪いんですよ。

「もう我慢できねぇ!『もうお前帰れ!』って怒鳴りつけてやる!」
って思ったんですよ。
「でも待てよ、相手が中条あやみでも同じことするか?」
って考えたんですよ。

…やらないですよ。

もう我慢ならねぇ!と自分の寛容さの限界を感じたはずなんですが、
私の寛容さの本当の限界はまだまだ先だったわけですよ。

「それはお前、若くてかわいくて一生懸命な女に甘いだけだろ!」
って言われそうですけど、まぁ、そうなんですけど、
問題はそこじゃないんですよ。

相手が若くてかわいくて一生懸命な女か
若くなくてかわいくなくて一生懸命じゃない女か
っていうのはただの『条件』なわけですよ。
自分本来の寛容さの『実力』とは関係ないわけです。

例えばスポーツだと恵まれた条件のなかで
本来の実力を発揮して最高の結果を出す。
なんてあたりまえじゃないですか。
条件が良くない時でも本来の実力を発揮できるのが
「いい選手」だと思うんですよ。

同じく、条件に関係なく本来の実力を発揮できるのが
「善い人」だと思うんです。

仏教だと条件のことを『縁』と呼びますし
条件に関係なく最高の実力を発揮するようなることを『解脱』といいます。
そして、仏教で本来の自分とは、
最高のコンディションで最高のパフォーマンスを演じられる状態のことです。
つまり、ありのまま=最高 なんですね。

DVやる連中というのはそこを間違えてるんじゃないかって思うんですよ、
最低のコンディションで最低のパフォーマンスの自分を『ありのまま』
だと思って、さらにその最低の『ありのまま』を受け入れてほしい
とか気色の悪いこと思ってるんじゃないかって。

DVやる人は仏教の勉強したほうがいいですよ。
やらない人も勉強したほうがいいと思うけど。